自分は、なんのために生きているのか?
この問いは、私の中で、ずっと繰り返している問いです。
家族のため、とか、自分が社会に役立てるから、という他人軸ではなく、私の中で誰が何と言おうとも、これだ!と言え、前に進むチカラになるもの。
それとなかなか巡り合えず、また輪郭が見え掴みそうで掴めず、なかなか言語化できない。
どことなく拠り所のない感覚を持ちながら、いつかは迎えるであろう”死”を漠然と知っているだけの状態。
限りある時間を生きるために全力で注ぐ、そんな感覚に憧れながらも、ただただ時間だけが過ぎていく。
そんなふうに過ぎた時間の先で、私は何だったのか?と後悔しながら死への恐怖で受け入れない、ただ肉体だけが生存している、そんなのにはなりたくない。
そんな最中、この本と出合いました。
スタンフォード大学 いのちと死の授業
この本はスタンフォード大学で行われた10講をまとめた本です。
各講ごとに、3~6個のエクササイズがあり、それらを行うことで、自分自身を深く見つめる機会を与えてくれました。
そして、死というのは終わりではない。
それらをゆっくり理解していく構成になっています。
この本との出会いは、私という存在を深く見つめ直し、自分の人生をより豊かに生きるためのヒントを与えてくれ、私が長年抱えていた「自分は何のために生きているのか」という問いに対する答えを探す旅の始まりとなりました。
特に印象に残ったのは、マインドフルネスと金継ぎの話です。
マインドフルネスを通して、私は「今ここ」に意識を集中することで、心の平穏を取り戻せることを学びました。
それまで漠然と理解していた「今ここ」という言葉が、本書では、「生きている=息をしている」という実体験を通して、今この瞬間に存在しているという感覚を味わせてくれました。
五感を研ぎ澄ませ、自分自身の存在を実感する。
この体験は、私にとって大きな気づきとなりました。
また、金継ぎの話も心に響きました。
金継ぎの話は、割れてしまった器が、金で修復されることで新たな美しさを手に入れるように、人間もまた、過去の傷を乗り越え、より強くより魅力的になれるということを教えてくれました。
そして、割れてしまった器を修復する行為は、まるで傷ついた心を癒すことのようだと感じました。
完璧を求めるのではなく、不完全な自分を認め、その上で新たな魅力を見出す。
この考え方は、日々の生活の中で、自分を責めることから私を解放してくれました。
これまで、自分の傷を隠そうとしてきた私は、この話を聞いて、傷を隠すのではなく、むしろそれを受け入れることで、新たな自分に出会えるのではないかという希望を感じました。
生きていると完璧な存在である幻想に悩まされます。
完璧でなければ愛されない、完璧でなければ評価されない
果たして、本当にそうなのでしょうか?
人生とは、限られた時間の中で、自分の可能性をどう生きるか?という哲学を見つける旅。
それは、自分一人では見つけられない。
他者を介して感情の交流をし培っていくなかで見つけられることもある。
苦痛や哀しさで傷ついたことを嘆くより、金継ぎのように、傷を新たな魅力に変える視点や力を培っていくことが人間性の魅力となっていく。
そのためには、まずは行動。
そして、人と交流すること。自分の不完全さを受け入れて、相手も受け入れる。
そのやり取りの中で、自分の価値観や感性が「ああ、こう感じていたのか」と気付く。
それを丁寧に拾っていく。そして、時には手放す。
その積み重ねが、自分の人生をカタチ創っていく。
◇まとめ
この本は、ただ単に「死」について考えるだけでなく、限られた人生をどう生きるかという哲学的な問いを投げかけてくれます。
そして、その答えは、自分自身の中に存在していることを教えてくれました。
この本を読んで、私は「自分は何のために生きているのか?」という問いに対する答えの一端を見つけたように思います。
それは、完璧な自分になることではなく、ありのままの自分を受け入れ、他者とのつながりを大切にすることなのかもしれません。
限られた時間の中で、自分の人生をどう生きるか。
それは、自分一人では答えが出せない問いだと思います。
しかし、この本を通して、私は多くの気づきを得ることができました。
今後は、この気づきを胸に、自分自身と向き合いながら、より豊かな人生を送りたいと思っています。
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