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数学体験館とミロ展と私の治療を繋げるもの

どうも。

作業療法士と鍼灸師のダブルライセンスのうれしや鍼灸院吉祥寺の池田です。

いつも当院のブログをお読みいただきありがとうございます!


先日、数学体験館ミロ展という、一見すると全く異なる二つの場所を訪れました。


しかし、それぞれの体験を通して、

「知識があるからこそ、より深く世界を理解し、感動できる」

という共通の 気付きを得ることができました。


この記事では、その時の具体的な経験と、そこから得られた気づきをお話します。



◇「知識があることが深い理解と感動につながる」と気付いたきっかけ

なぜ「知識があることが深い理解と感動につながる」と感じたのでしょうか。


それは、数学体験館での「表層的な楽しさ」と、ミロ展での「見えない深淵への気づき」という、対照的な体験があったからです。


知識の有無によって、同じ対象物から得られる情報量や感動の質が大きく異なることを、身をもって実感しました。



数学体験館:触れる楽しさと、見えない理論の壁

以前から少し気になっていた数学体験館の地下フロアを訪れました。




そこには、様々な数学的概念を体感できる展示が並んでおり、実際に手を動かしながら学べる工夫が凝らされていました。


例えば、歯車の組み合わせで異なる回転比を試したり、図形パズルで空間認識能力を鍛えたり。


操作すること自体は非常に面白く、数学が苦手な私でも、しばらくの間は夢中になって遊ぶことができました。


しかし、熱中して操作しているうちに、ふと

「なぜこのような動きになるのだろう?」

「この法則は何なのだろう?」

という疑問が湧き上がってきました。


周りには数式や解説も書かれているのですが、残念ながら私の数学の基礎知識が不足しているため、その理論を深く理解するには至りませんでした。


まるで、美しい音楽を聴いているのに、その楽譜が読めない、といったもどかしさを感じたのです。


体験することの楽しさは理解できたものの、その根底にある数学の奥深さには、まだ手が届かないもどかしさが残りました。




ミロ展:変遷を辿る面白さと、知識の重要性

一方、その後訪れたミロ展では、画家の初期から晩年までの作品が展示されており、その作風の変遷を辿ることができました。





キュビスムの影響を受けた初期の作品から、次第に自由で抽象的な表現へと変化していく様子は、絵画の知識がなくても見ていて非常に興味深いものでした。


特に、晩年の作品には、一見すると子供の落書きのような抽象的な自画像がありましたが、注意深くに診ると、その周囲には鉛筆による緻密なデッサンが描かれていたのです。


この時、私は

「なぜこれほどまでに抽象化された表現の中に、確かなデッサンの技術が共存しているのだろう?」

という疑問を持ちました。


もし私がミロの作風や美術史の知識を持っていなければ、この自画像をただの「よくわからない絵」として通り過ぎていたかもしれません。


しかし、彼の変遷や背景にある思想を知ることで、その抽象化された線の中に、画家の内面や感情、そして確かな技術が凝縮されていることに気づかされました。


知識があることで、作品の奥に隠された意図やメッセージを感じ取ることができたのです。



◇お客様との会話:広大な平原のたとえ話

これらの体験を通して感じた「知識の重要性」を、お客様との何気ない会話がさらに深めてくれました。


そのお客様は、

「歴史上有名な某所。今はただ広大な平原があるだけ。

 だけど、知識がある人は、「あそこには何があった」「ここには誰がいた」と語ることができる。」

という話をしてくださいました。


それは、知識がない人は、ただ広がる景色を眺めるだけで、その場所に秘められた歴史や物語に気づくことができない、ということでもあると稲妻が走る思いでした。


この言葉は、私の心に深く突き刺さりました。


数学体験館での体験は、まさに広がる平原をただ眺めているような感覚だったのかもしれません。


ミロ展では、少し知識があったおかげで、平原の中に点在する「何か」に気づくことができたけれど、もっと深く知っていれば、さらに多くの物語が見えてきただろうと感じました。



◇数学体験館とミロ展と私の治療とを繋げるもの

これらの経験から、私たちは常に「知的好奇心」のアンテナを高く張り、学び続けることの重要性を改めて認識しました。


それは、単に情報を詰め込むということではなく、目の前の事象に対して「なぜ?」「どうして?」という問いを持ち、深く掘り下げていく姿勢です。


数学の法則を知ることで、体験館の展示は単なる遊具から、世界を理解するための入り口へと変わり、世界の見方をより深くするでしょう。


美術史や画家の生涯を知ることで、目の前にある絵画は単なる色の集まりから、その人の息遣いがや思いが凝縮されたメッセージとなり、それは私の言葉にならない何かを揺さぶります。


知識は、センスだとも言われます。


自分の中にある知識が豊かであればあるほど、世界をより深く、多角的に理解するための物差しのようなものがたくさんできます。


その知識があることで、私たちは見慣れた風景の中に新たな意味を発見し、表面的な現象の奥に潜む本質に気づくことができるのです。


そして、その気づきこそが、私の深い感動や喜びになるのだと確信しました。


また、この体験を通して、私は知識の重要性を再認識するとともに、自身の学びに対する姿勢を深く考えさせられました。


これまで、興味のある分野にしか目を向けてこなかったこと、表面的な情報だけで満足してしまっていたことを痛感しました。


真に何かを理解するということは、単に情報を得るだけでなく、その背景にある理論や歴史、文化といった多角的な視点を持つことなのだと思います。


これは、私の専門でもある「治療」にも通じるのではないでしょうか。


皮膚の表面だけを見ていても、その下で何が起こっているのか、生命がどのように営まれているのかは見えてきません。


病気のメカニズム、身体の構造、そしてお客様の生活背景や感情といった、様々な知識があって初めて、適切な見立てをし、根本的な治療へと繋げることができるのだと思います。


今回の気付きで、更に治療に対してのイメージが刷新され、学ぶ意欲に明確な理由ができ、モチベーションが上がりました。



◇まとめ

数学体験館とミロ展という異なる場所での体験は、知識が私たちの世界の見え方を大きく左右することを教えてくれました。


情報が溢れる現代において、私たちはどうしても表面的な情報に流されがちです。


しかし、立ち止まって「なぜ?」と問い、知識を深めることで、日常の中に隠された豊かな世界を発見することができます。


今回の体験を通して、私も改めて知的好奇心を大切にし、様々な分野への学びを深めていきたいと感じました。


皆さんも、ぜひ身の回りのことに疑問を持ち、探求することで、より深く、より豊かな世界を体験してみてはいかがでしょうか。


知識という名の羅針盤を手に、知的好奇心の扉を開ける旅に出かけることは、私にとって昨日の私を越える=より良い治療が出来ることにつながると確信しております。




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